幼い頃、父と母は一緒に商売をしていた為、いつも忙しくしていました。
お小遣いをもらって、一日一個プラモデルを作るような毎日でした。
幼いころの思い出はお祖母ちゃんと一緒に過ごした時間。
中学一年生の時に両親が離婚。
よくは分からなかったけど、商売の事が原因だった。
母と弟で住むようになり、中学二年生の時に新聞配達を始めました。
朝は新聞配達。放課後は、部活のバレーボール。
忙しくも充実した日々。振り返ってみると、それからずっと働いている。
高校生に入って、フォークギターに夢中
になりました。
バイトしたお金で、初めてギターを購入。
髪型は、もちろん長髪。
硬派だったのか写真は残っていません
(笑)
高校卒業も近づき、クラスメイトは就職か進学かで迷っていました。
友人の「平凡な人生を送りたい」という言葉には疑問を感じていました。
卒業後の半年間はアルバイトでお金を貯め、東京へ上京することに
決めました。
京都で音楽をかじっていても、なかなか自分の実力は分からない。
東京に行って、音楽の一位を知りたい。世界の音楽シーンに触れたい。
と夢は膨らんでいきました。何よりも、母の負担になることは嫌だったの
です。
上京したら何とかなる!という意気込みで上京したものの、実際には
コネ無し、経験無しで途方に暮れる日々。
そんな時、ある雑誌で私が敬愛するギタリスト大村憲司さんのスタッフ
募集の記事を目にしました。
「これしかない!」そう思い、履歴書とともに手紙を添えました。
ギタリストの大村憲司さんとジフベックの演奏が大好きなこと。
作家(ウメハラリュウイチさん)の本が愛読書であることなどつらつらと。
「採用」の連絡をもらったときの事は今でも覚えています。
マネージャーが私の手紙を読んで、意外性があって面白いと目に
留まったそうです。そして、私の上京物語は大きく動きだしました。
敬愛する大村憲司さんは、日本を代表する三大ギタリストの一人。
当時、YMO第四のメンバーとしてレコーディングやセッションを行い、
メンバーの坂本龍一さんやキーボードを務めていました。
矢野顕子さんなど総々たるメンバーの音楽性を間近で垣間見る
ことになりました。
世界に通用する才能をひしひしと感じ、あらためて自分の音楽的な
才能を思い知らされることになりました。大学に進んでいたら、
絶対に味わうことのできなかった4年間。私の青春そのものです。
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仕事に疲れた愛器「フェンダーストラトキャスター」を手にします。
ただし、ほとんど弾けません |
22歳の時、京都に戻ってきました。
帰ってきた時は、腰をすえて取り組みた
いと思えるような仕事が
ありませんでした。
受けたいと思えるような会社も見つから
ないまま、国家公務員の就職試験に臨
みました。とりあえず、という気持ちで
働くことをスタートさせます。
農林水産省の出先機関で事務職に従事し、経理課に移動になった
ことから簿記に興味を持ち始めました。仕事は、定時の5時で終了。
時間はたっぷり作ることができました。勤めながら、勉強し1年間で
簿記1級を取得。そこで税理士の道が見えてきました。
32歳で退職。その後、税理士になることを目指し、公認会計事務所で
4年間の修行を積みました。
平成8年の3月に晴れて税理士となり、翌年の1月1日に
谷口薫税理士事務所を開業。
実践マーケッターの神田正典さんの本を手にしたことがきっかけで
平成15年、ランチェスターと出会いました。
運命的な出会い。そして、勉強はまだまだ続きます。